30年ほどの教員生活で4回の改組を経験している。10年弱に1回くらいだろうか。大規模な変更を積極的に行いたい時もあれば、単に文科省に改革をアピールするだけの改組もある。改組をするときは文科省の設置審にかける必要があり、この時は教員の審査も伴う。この時は修士課程の改組で、教授はマル合、准教授は合の審査が行われた。マル合は主査、合は副査の資格である。修士論文は主査1名、副査2名で審査していた。マル合の対象は教授だけではないが、本学の習慣として教授のみを対象にしていた。この時の設置審は厳しくて、教授の半分が審査に落ちた。数年後には学内で審査ができるようになり、全て合格にするので、いずれマル合不足は解消される。その間に業績が全くなくても合格する。不合格だったのは数理系の3名で、数学2名、経営工学1名。経営工学の教授はそれなりに業績はありそうで意外だったが、分野が適合しなかったのだろうか。合格したのは響教授の他2名、信号処理と物理の教授だった。2名ともハードウェアに分類される。物理の教授は分野違いとは思うが、業績は膨大だった。
響教授はこの時の審査に通り、「あいつらが審査に落ちたから、俺があいつらの分まで主査をしなければならなくなった。」と自慢気に語っていた。厳しい審査を通ったのだから大したものだと思った。着任から 10年経過していたが、響教授が論文を通した話はほとんど聞いたことが無かった。社会人の博士課程がが論文1、国際会議3を発表していた。他の教員との共著が1、私と共著の論文が3だった。筆頭著者もないし、これだけでは少なすぎるだろう。他にどこで業績を上げていたのだろうか。情報系は成果を上げにくい分野なので、研究は共同で行って、お互いの名前を入れないと業績が増えないと響教授は言っていた。響教授の人脈は豊富だったので、他大学との共同研究があっても不思議ではない。しかし、逆に名前を入れてあげる研究も必要になるはずである。不思議に思っていたが、後に彼の業績は思わぬ形で明らかになる。