研究テーマへの批判(4)

前回の続きで、業績を理由に学科を追放される話である。改組により学科の教員の 2,3割が新設するロボット系の学科に配属になる。ハードウェア担当の教員が主に配属になると予想されたが、人数が足りなさそうだ。OSの講義担当者であることを理由に組み込み系と難癖をつけられる覚悟はしていた。他にも覚悟している人はいたようだが、無事メンバーが定まり、情報系を希望した教員は残れる見込みとなった。同時に数理教育センターを立ち上げ、数学の教員をそこに集めることになっていた。ところが数学の和泉教授が配置換えを頑強に拒んだ。改組の学科代表だった池沼教授は困ってしまった。和泉教授には強く要求できないので、私に身代わりを求めてきた。私は数学出身ではあるが、ソフトウェアとして採用され、ソフトウェアとしての職務を求められ、職責を果たしてきた。全く無関係である。前回登場した金本先生は数理のポジションで和泉教授の下にいた。昇進のために情報センターに移ったが、もう学科に戻っていた。身代わりなら金本先生に求めるのが道理である。むしろ2人揃って数理教育センターに行くべきだ。同職位でのセンターへの異動は事実上の左遷である。通常は昇進もしくは昇進が約束されなければ割に合わない。ロボット系なら覚悟はしていたが、センターは真っ平ごめんである。数学が専門なら本来の業務に専念できるメリットもあるだろう。実際、センター設立は数学の教授が希望した。私が断ったのは当然だ。池沼教授は「情報系の人数が多すぎるという突き上げにはもう耐えられない」と私に不満をぶつけた。気の毒には思ったが、私が負うべき責任ではない。断ると「はっきり言ってあなたの業績ではここで昇進させることはできない」と私を怒鳴りつけてきた。教授ポストが足りなくて、同世代の准教授の半数は昇進できない見込みだ。私は内部昇進に関心は無く、他大学への応募を考えていた。「ここで教授になりたいとは思っていない」と答えたが無視して、「こんな業績では採用してくれる大学はどこにも無い」と更に続けて罵倒された。そこまで酷いという認識はこれまでなかった。業績が少ないのは事実であるが、最下位ではないと思っていたので、ここまで批判されるとは思っていなかった。池沼教授はどうやって私の業績を判定したのか。それは疑問だったが、学科は業績で公平に判定すると宣言しているので、何も調べずには断言できないだろう。和泉教授の身代わりになるのは納得いかないが、研究成果の出る教員が専門のポジションに残り、成果の出ない教員が教育のポジションに移るべきだろう。私は業績の責任を取るつもりで要求に応じた。

この異動は本当につらかった。これまで授業担当では無理難題を突き付けられてきた。知識のない科目の担当を突然割り当てられるのだ。能力的に無理ですと申し出ても、ソフトウェアの教員として採用したということを理由に責任を問われる。準備期間もない中で勉強するのは大変だった。そこで幅広い科目に対処できるように勉強することにした。その1つとして、情報処理技術者試験のスペシャリストを制覇した。素人から始めたので数年を要した。ようやく教育基盤も整い、教育から研究に重点を移し始めた。これでようやく研究の遅れを取り戻すことが出来ると思った矢先に、これまでの努力を全て無に帰す異動である。これに対しては「やってきたことが無駄になることはない」と池沼教授は考慮しない。こんなことなら教育の責任を果たすより研究を進めるべきだったと後悔した。

承諾した結果どうなったか。人事の問題なので経緯は構成員全体に伝えられるとは思わないが、教授陣にも本人の希望と伝えられていた。響教授からは、ソフトウェアで採用したのに数学に戻った裏切り者と責められた。数理教育センター長(予定)は和泉教授が拒んでいたことを知らなかった。そして、和泉教授でなく私が来ることを怒っていた。私が近く空く教授ポストを狙って来たために和泉教授が来なくなったと思ったようだ。後にポストが空いて昇進の話が来た。「業績の責任を問われて来たので、情報系の批判を受けるだけです。他大学を探しますから、外部から採用して下さい。」と断った。センター長は無視して人事を進めてしまった。正直言って迷惑だった。業績もないのにセンターに移っただけで昇進する。昇進を待たされている情報系の准教授は不満だろう。プライベートでも激しい非難が予想される。結果的には、情報系からは何の反発もなかった。それは情報系から出された教授人事の業績も酷かったからである。なぜ私の業績では駄目で、彼の業績を許せるのか理解できなかった。昇進後にセンター長は私のことを気に入らなくなり、昇進を辞退した過去を理由に准教授降格人事を工学部に提出する。この異常な行動については将来書くつもりだ。

昇進が決まった後、情報系の教授と話した時に、私の業績に問題がないことが発覚した。思ったより他の准教授の業績も少なく、当落線上にいた。響研究室にいた期間の業績は少なかったが、独立後は業績はそれなりに増えていた。同僚も業績は増やしているはずで、助教時代の穴埋めをするのは厳しいと思っていた。しかし、業績のある同僚は早々と教授になり、未昇進の同僚は業績が少なかった。主任立ち合いの下、池沼教授から説明を受けた。彼は「研究業績は十分である。それはこの調書で確認していた。」と業績は認めた。しかし、その調書は当時まだ存在しないものだった。見ることは不可能だと主張したが、池沼教授は認めない。業績も調べずに批判したなどとは言えないようだ。そして、別の理由を持ち出してきた。「業績とは研究業績を意味するものではない。人事は総合的な観点から判断する。年齢構成、専門の配分など。貴方に近い年齢の教員は多い。専門分野も偏ってもいけない。」と、研究業績に関係なく私が昇進できないことは確定していると言う。他大学に採用されない理由も「ニューロを採用する大学はどこにもない。貴方の将来を案じて探したが、ニューロを募集する大学はどこにもなかった。」と説明された。実際には多くの研究者が活発に大学を移っていた時期であり、事実とは考えられない。彼はニューロと言えば理由になると考えているようだ。私は学科の教授陣に報告することを求めた。しかし、私への説明とは異なる報告をし、教授にできないと告知したことやその理由については報告しなかった。