上司の響教授は起業した。少し前に国立大学の教員が兼業できるように制度が改正されていた。響教授の旧友が上場会社を経営していて、子会社を経営してみないかと誘われた。学生をアルバイトとして雇うことにして会社での業務を経験させたいという考えで子会社を立ち上げた。学生にとってはインターンのようなものだ。私は会社とは距離を置くことにした。研究成果もろくに上がっていないのに、関わっている余裕はない。業務は親会社からの発注でNASを開発していたらしい。主に研究室の学生を誘っていた。チュートリアルとして響教授が計算機アーキテクチャの手ほどきをした。私の着任時にはアーキテクチャとOSを担当していた。アメリカに留学してアーキテクチャで修士号を取得している。この辺りの技術には詳しいことになっていた。何年かして本社の方針で会社を閉めることになった。響教授は「会社の方針だから仕方がない」と言っていたが、私は不採算でそれを理解していないだけではないかと疑っていた。関わっていた学生に聞くと黒字ではあったという。生産したNASは本社で買い取り、本社で不良在庫となっていた。本社が赤字を被っていただけであるが、本社の戦略ミスで、響教授の経営責任とは言えないように思う。
会社経営が楽しかったらしく、今度は自ら会社を立ち上げた。会社経営にのめり込むにつれて、研究室への関心が薄れていった。研究室のテーマの中には会社の業種と関係のないものもある。そういうテーマの学生への指導はおざなりになっていった。例えば、卒論テーマについて相談に行っても、インターネットで適当に論文を探せとだけ言われた学生もいた。だったら、会社に関係ない分野は研究テーマから外せば良いのに。予算も研究室へはつぎ込まなくなった。法人運営費(大学からの予算)は過去に使い過ぎて大赤字であり、毎年交付される予算は私の分も含めてその返済に充てられていた。頼みは外部資金である。響教授は産学共同をアピールして、幾つかの会社と研究室の連名で大きな外部資金を獲得していた。しかし、研究室には資金は回ってこなかった。PCなども補充されず、どんどん老朽化して、研究室の環境は悪化する一方である。通常の業務だけでも忙しいと言われているのに、会社経営までしていたら業務がおろそかになるのは目に見えている。この一件以降、教員が企業経営に関わることを疑問視している。