1990年代の大学教員人事(1)

私が就職した頃の話。1990年代前半に私は数学科の博士課程をD2で中退してある地方国立大に助教(当時は助手と呼んでいた)として採用された。学位(博士号)は当然ない。これは旧帝大級に限ったことかもしれないが、当時の数学の世界では、課程博士が取れるくらいなら先に職が得られる状況だった。論文を3本書けば職はあると先輩から聞いていた。この時点では2本。私が就職した直後から状況は一変、学位を取っても職に就けない時代に移行した。1年後だったら職はなかったかもしれない。当時の採用は公募よりも紹介(一本釣りと呼んでいた)の方が多かった。数学科主任に紹介を求めてきたのはOBでこの地方国立大の教授に採用されたばかりだった。後で聞いた話では、もう1人D1が紹介されたが業績が全くなかったために選択の余地はなかったという。質が低くても投稿しておくことは大事だと痛感した。

数学の世界とは違って工学部では学位は必須と聞いていた。驚いたことに、着任してみると助教全員が学位をもたず、学位を取得すると速やかに講師や准教授に昇進していた。数年後には学位をもつ助教を採用するようになる。背景にはまだ博士課程が普及していないことがあった。本学でも博士課程を新設したばかりだった。学科が小さすぎて博士課程新設が認められないので、電気工学科と電子工学科など比較的近い学科を併合して大学科にして、従来の学科はコースという単位になった。博士課程を作っても進学者が僅かなのでやむを得ない。反目する学科が合併することもあり、運営は大変なようだ。

助教のほとんどは修士修了後すぐに採用されていた。本学の卒業生なら人物が分かっているだけに外部から採用するよりも安心ではある。成績は良いが M2なので業績が全くないことも多い。当事者である助教に聞いた話だが、使いやすい教え子を部下にして雑用係にしているのだという。良く分からないことに旧帝大のM2を引き抜いて採用する事例もあった。博士課程のある大学からなら、研究実績のある博士課程の学生を採用した方が良かっただろう。業績なしで助教になれるなんて良い時代だと思われるかもしれないが、研究基盤が固まらないまま助教になり、学位取得に苦しむ事例がほとんどであった。私の同僚でも定年まで学位を取れないまま定年を迎えるであろう助教が何人かいる。適切な指導を受けられたなら学位を取れただろう。助教に誘われなければ民間に就職して活躍しただろうと思うと不幸なことだ。