初めての研究論文 (4)

情処に投稿して1年が経過し、ようやく査読結果が届いた。当時としても、これは異例な長さだろう。通常は2人が査読するが、なぜか査読報告は1つだった。「この問題を解決するには提案方法しか考えられない。誰でも思いつく方法でありオリジナリティが感じられない。」という感じの内容だった。論文中で先行研究を挙げて他の研究者の試みを主張しているが、全く考慮されなかった。楠先生は査読結果を見て、「酷い悪意が感じられる」と言った。これだけ話にならない論文なら、査読に1年もかける必要があっただろうか。さっさと落としてくれれば、他の論文誌に直ぐに投稿できたのに、1年も待たされてしまった。また、なぜ査読結果は1つなのか。先に返事のあった査読結果で不採録が確定したので、もう1つを待たずに結果を返したというのはあり得なくはないが、1年もかかるだろうか。もう1つ考えられるのは、もう1人が採録と評価した可能性である。査読者がいきなり採録と評価する事例は稀にある。私は2回経験している。

結果を響教授に報告した。今後の方針もあるので、なぜ情処に拘るのか改めて聞いた。「ニューロは情処なんだ」と相変わらず怒鳴りつけられる。後に、ソフトコンピューティングの研究集会で専門家から「情処はこの分野に否定的で、投稿先としては不適切だ」と聞いた。結局、響教授の不適切な方針に振り回されて、初論文は1年遅れた。今度は信学会に投稿して、採録と条件付採録と評価されて、あっさり採録となった。1回目の査読で採録と評価されるのは極めて稀で、通常はなんらかの修正を求めてくる。100回以上投稿しているが、2回しか経験がない。

論文掲載のためにプロフィール画像用写真の提供をお願いした。デジカメで撮った写真をインクジェットプリンタで印刷して、「これで出せ」と渡された。「写真で下さい」とお願いしたが、「これで出せ」を繰り返し、応じてもらえなかった。当時はデジカメが普及し始めたばかりで、研究室で買ったデジカメを使いたかったのだろう。仕方がないので一度は提出して却下されてから、「認められませんでした」と再度写真の提供をお願いに行った。響教授は不満気だったが、面倒くさそうにしながらもようやく応じてくれた。これ以降、研究の経過報告はすることなく、原稿まで仕上げてから響教授に渡すことにした。どうせ原稿もチェックしてもらえない。内容は一応説明するが、連名の承諾を得るためだけだった。内容によっては理解もできないので、そのうちに「説明されても分からないから、もう説明に来るな。」と言われるようになった。