助教時代

教員生活

初めての研究論文 (2)

着任してから全く論文が出ないまま 5年以上経過した。いずれも不採録であったが、2編の論文を投稿した。上司の響教授も連名なので、プロフィールを記載するため過去の論文を頂いた。ニューラルネットワークの論文だったが、オリジナリティがあるとは感じら...
教員生活

初めての研究論文 (1)

初めての研究論文とはIT系での論文のことである。数学で博士号を取得するまでに、数学では最低限の論文を書いていた。博士号を取得したらIT系の研究者に転向するという約束で採用されている。今後はIT系で論文を書かなければならない。ITに関しては全...
教員生活

工学部における研究とは

私は数学科出身だが、工学部のIT系に採用された。そして、研究分野もIT系に転向することも求められた。受け入れ先の教授が母校の教授に求人して、私が紹介された。選ばれた理由は、自覚はないが下の者をよく面倒見ているということだった。数学では業績を...
教員生活

カラ出張

最近では監視が厳しくなってあまり見られなくなったようだが、着任した頃には大学教員のカラ出張が容易だった。独法化以降に激減した気がする。カラ出張の最大の要因は予算に融通が利かなかったことだ。予算の費目が物品費、旅費などに分けられ、出張費が余っ...
教員生活

プログラミングの母国語

母国語と言っても日本語とか英語とかの話ではなく、初めにどの言語でプログラミングを学ぶかということである。上司の響教授曰く、「初めに学んだプログラミング言語がマザーランゲージとなる。プログラミングの発想を決めるマザーランゲージは変えることはで...
教員生活

デザインパターンの実装言語

すでに教員を辞めているが、教え子達と年1,2回程度飲み会をしている。ほとんどは私の研究室出身ではなく、学生の時からIT技術に関しては私より遥かにレベルが高かった。彼らの年齢は40前後であるが、いまだに付き合いがあるという奇妙な関係である。そ...
教員生活

教員の常識 社会人の常識

1990年代前半に、大学を中退して助教として響教授に採用していただいた。この時点で、社会人としての常識は乏しいものと当然考えられ、これから身に着けていかなければならない。響教授は大手企業の研究所出身である。民間の出身として本人が言うには、多...
教員生活

1990年代の大学教員人事(2)

1990年代後半になると、学位無しでは職に就けない時代に移行し、採用される助教は当たり前のように学位をもっていた。前半なら採用されて間もなく昇進できただろう。情報系での助教は3名、いずれも学位を持っていなかった。電気系でも同様だった。このよ...
教員生活

1990年代の大学教員人事(1)

私が就職した頃の話。1990年代前半に私は数学科の博士課程をD2で中退してある地方国立大に助教(当時は助手と呼んでいた)として採用された。学位(博士号)は当然ない。これは旧帝大級に限ったことかもしれないが、当時の数学の世界では、課程博士が取...