工学部における研究とは

私は数学科出身だが、工学部のIT系に採用された。そして、研究分野もIT系に転向することも求められた。受け入れ先の教授が母校の教授に求人して、私が紹介された。選ばれた理由は、自覚はないが下の者をよく面倒見ているということだった。数学では業績を上げ続ける見通しもなかったし、指導もしていただけるということなので了承した。上司の響教授の飲み仲間だった教員からも工学部の研究の心得を指導された。彼は経営工学の専門家だった。「理学は知的好奇心で研究するが、工学では人の役に立つ研究でなければならない。」この「人の役に立つ」というのは曖昧であるが、生活にかなり直接関わっていることを要求しているようだった。また、彼は現代数学に対して否定的だった。「現代の数学は役に立たない。使えるのは19世紀までの数学だけだ。20世紀の数学は不要だ。」「あなたが使いこなせないだけではないですか。」と私は言いたかった。

響教授も「人の役に立つ」という意見は同じだった。さらに「モノを作る」ということも求められた。ソフトウェアを作るという意味だ。まずは研究室のゼミに参加しながらIT研究を学ぶことになっていた。着任時における響研の研究テーマは、OS,AI,ソフトコンピューティングだった。テーマはバラバラに見えるが、それは響教授がITでは特定分野の専門家になってはいけないというポリシーに基づくものだ。そして、各テーマは数年で飽きて、全く異なるテーマに移行する。

初年度の研究テーマを幾つか見よう。AIは学部生2名。AIは幅広い分野であるが、研究室のテーマはマルチエージェントであった。マルチエージェントではネゴシエーションを上手くまとめるかが課題だった。1人のテーマは信号機の制御だった。各信号機にエージェントが割り当てられ、信号機間でネゴシエーションをする。もう1人のテーマは複数のエレベーターの制御だった。各エレベーターにエージェントを割り当てることも同じである。集中制御の方が容易で効率的なことは承知の上で、敢えてマルチエージェントの研究として問題設定しているのである。実用的な意味は研究として重要ではないことには同意するが、生活に関係している課題なら人の役に立つということだろうか。問題なのは勝手にシナリオを設定して既存の技術で解決するだけで研究と言えるのだろうか。工学ではオリジナリティとは何だろうか。私には単なる実習としか思えず、研究というものが何なのかさっぱり分からなくなった。

別の卒論テーマを見てみよう。当時はマルチメディアという研究分野があった。マシンスペックから複数のメディアを協調させるのには技術が必要だったのだろう。学生の卒業研究は自動車のカタログを検索することだった。条件に合致する車の画像とエンジン音が出るから画像と音声のマルチメディアだというのだ。これは研究と言えるのだろうか。

数年後の話をしよう。Javaが登場した。翻訳だったと思うがJavaの教科書が出てきた頃だった。響教授はVRに関心を持ち始めた。4月から7月までのゼミはJavaの教科書の輪講だった。そして夏休みに入るときに研究テーマを決めさせる。論文を全く読まずにプログラミング言語を1つ学んだだけで研究が出来るのか。学生は何らかの仮想空間を実装したが、これは研究なのか。

工学部における研究とは何なのか分からないまま10年が経過した。結果的にこの不毛な10年間は研究者としては致命的になった。その間の成果は数学の論文1つだけである。これは博士号を取得するための研究だった。研究室も論文掲載という意味では成果は皆無だった。私はIT系ではニューラルネットワークを研究テーマとして選んだ。後に専門家の楠先生が着任し、博士論文をもらった。研究のオリジナリティは明快だった。数学の価値観と大きく変わらない研究もあると知った。おかげで研究の方向性も定まり、研究成果が出始めた。そのうち、響教授から現在の研究を止め、研究室で行っている研究をするよう求められた。響教授は自分の研究は論文にしていないだけで価値があり、私の研究は論文になっているだけで価値は認めていないようだ。教授は論文数をほとんど問われないが、私には最低限の論文数は必要である。響研究室のテーマでは論文を書けるとは思えなかった。無視して研究を継続した。研究にも慣れて、40代になってから楠先生を遥かに上回るペースで論文を量産するようになるが、時すでに遅しだった。初めから楠先生の指導教員に指導を受けられれば成功しただろう。中途半端な能力の場合は、こういう巡り合わせは運任せだ。